幽閉図書館

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人にやめろと言われてやめることができるのなら、それはもうやめていいんじゃないかなー?

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おはようございます。結城です。
何事も自分で決断して答えをだせ!と社会に出たらそうなります。
正直な話、生まれてからすぐにこのような選択に迫られるのです。


赤ちゃんとかだと判断!と言うこと自体難しいので、それをするのが親というものです。
しかしある程度の年齢になるとそれが自分自身になるのです。
そこには親も子も関係ないのです。やはり最終的に自分の人生になるわけなので、自分で選択した道を行くべきものなのです。


それが公務員になれ!という安泰!を望めと親に言われたからやる!
別にそれらすべてが悪いというわけではありません。
でもそこに幸せはあるのか?と言われてしまえばどうです?


言われそれが幸せなら別に構いませんが、大体の人は幸せになることはほぼないでしょう。
苦痛&苦痛の人生になるわけです。
そんな苦痛の人生なのですが、人なので必ず自分で選択すると「言い訳」というものができなくなるのでつらいといった問題を抱えてしまうのです。


やはり人ですので、責任転嫁というものをして誰しもが逃げたい!欲求というのはあるのですね。
なので仕方ないことなのです。これは僕がやったのではない、この人がやりました。そうすれば自分自身は少しでも気が楽になります。
責任逃れができて、全責任ではないのですが、1部だけ取るようになります。


これが人という頭の良い生物なのですが
世の中広い世界です。それだけが生きているわけではないのです。
やはり固定のグループには属せず、自分の道だけで突き進む一匹狼のような存在がいるのです。


しかも過去をさかのぼれば、成功者や革命を起こした人ってみながみな自分の道をいったものたちばかりなのですね。
周りに「これやめたほうがいいだろ」とさんざん言われまくっていたり時には「変人」扱いされたりとひどいことをされていたそうです。
ですが、やめろと言われてもやめずして突き進んだ結果自分なりの成功という道にいったわけです。


自分で選択したことに関してはすべて自分の責任になります。
それはとても怖いものです。だから「やめろ」「やめたら?」「もう諦めな?」といった言葉はとても心に刺さる言葉なのですね。
相談できる人がいたとしても、やはり少人数です。一人二人、4人などです。


反対する人はそれの数百倍以上になるでしょう。
そんな環境だととんでもない変人でない限り、やめるでしょうね。
でも世の中には自分たちが想像をする以上の変人が生息しています。


周りに何と言われようがその道に進んで成功している人が多く存在するのです。
なんど挫折しようが、なんど罵倒されようが進んでいるのです。


よく「多数にやめろと言われたからやめる」などと語る人がいるのですが
本当にやりたいものであるのなら、そんなの気にせず進むのが一番良いのですね。
あとあとになって、失敗して「ほらやめろと前言ったのに理解しなかったから」と言われるかもしれません。


でも「挑戦した」「失敗した」「成功の未来を想像することができた」「今までにない体験をした」
いったら切りがないくらいの体験をしたのです。
それは、やめろといった人には必ず理解されることではないです。


1回やって成功することなんてほぼ0に等しいです。
失敗して人は成長するものです。安易にやめろと言う人が周りにいるのなら蹴飛ばしてしまうのが良いのです。
そこで自分のやりたいことをやめることをするのなら、それもまたその人の道になります。


挑戦したという大きなものは一生持っているまま突き進むことは忘れずにですね。
以上です。ありがとうございました。



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